旅行

2008/mar/15 (Saturday)

今日はメテオラ初日.
朝7:30ごろ起床.ベランダから見渡す空は快晴.澄み渡る青空に昇る朝日は田舎の新鮮な空気と相まって、なんだか小学生のころの故郷を思いだす.なんだかカランバカと昔の小牧が似ていると思うのはオイラの勝手な勘違いか?今日は陽気な一日になりそうだ.


8:00ホテルの朝食.本格的なギリシャ料理はこれがはじめて.簡単にギリシャの朝食を紹介すると、基本的にパンは焼かない、その上にはバター、ジャム、ハム、そしてチーズなどをトッピング.それからヨーグルト.これは日本のヨーグルトに比べて非常に濃厚.ヨーグルトはあまり酸味を感じないが、さらにギリシャでは蜂蜜やジャムを添えて甘みを足す.最後に、パンケーキっぽいあまいもの.そしてコーヒー.全体的に非常に淡白で、朝食には緑のものがありませんでした.これは少し辛かったかもしれない.

朝食をとり8:30にはホテル出発.ここでは事前情報はすべて“歩き方”だけ.とりあえず“歩き方”にはカランバカからメテオラおよび修道院へのバスが出ているとあるので、9:00初のバスを目指してカランバカの町の中心へ.バスの発着所には8:50ごろ到着.土曜だからか、それとも朝方だからか、街中に人の気配は少ない.かろうじて開いている文房具店っぽいお店のおじさんに「ヤーソス(こんにちは)」と言って語りかけると、このおじさんも英語がほとんど出来なさそう.「メテオラへのバスは9:00に出るの?」って聞くと、ギリシャ語で答えてくる.全く分からないのでサンキューと言ってお店を出ようとすると、なにやら待てという.どうやら、近くに観光インフォメーションセンターがあるからそこで聞くといいよ、って言ってくれていたようだ.それをオイラが理解できないようだったので、なんとおじさんがお店からインフォメーションセンターに電話して、今日はバスがでるのかどうか聞いてくれた.とても優しいおじさん.結局、今日はバスは出ないらしく、残念ながらメテオラには、タクシー、レンタカー、または歩くのどれかを選択する必要.
(後から知ったが、バスは4月以降でないと出ないらしい.)
タクシーは旅のはじまりであまりコストをかけられないこと、レンタカーはお店がどこにあるか分からない(それに、朝早くて開いていない?)、結局歩くことを選択.天気もいいし、もし途中でギブアップならそこでタクシーでも頼めばいいかと安易な決定.“歩き方”のいい加減な地図のみが頼り.とりあえず、頂上の修道院目指して登頂開始.
カランバカ村からメテオラまではほぼ一本道.降り注ぐ太陽、聞こえてくる小鳥のさえずり、そそり立つ岩肌、そして山肌の緑はあたかもギリシャ自然歩道(東海自然歩道ギリシャ版)のよう.途中、ツアー客の大型バスが登頂していくのは少し迷惑だったけど、それ以外は特段問題もなく、やがて頂上に到着.時間にして約1時間30程度.頂上で飲むミネラルウォーターの美味しいこと.
ここから下山しながら修道院めぐり.修道院の順番は

メガロ・メテオロン修道院(Megaro Meteoron Monastery)
ヴァルラーム修道院 (Varlaam Monastery)
ルサヌー修道院 (Roussanou Monastery)
アギア・トリアダ修道院 (Agia Triada Monastery)
アギオス・ステファノス修道院 (Agios Stefanos Monastery)


オイラは歩きだったので問題なくほぼすべてを回ることができたのだが、メガロ・メテオロンからアギア・トリアダに向かう道は道路工事を行っていて、車両通行止めだった(@2008/mar/15).だから、車でアギア・トリアダ修道院、アギオス・ステファノス修道院を考えている人たちは、一度カランバカまでもどり大きく迂回する必要があるので注意.

すべての修道院に共通して教会内にあるビザンチン様式の壁画は新約聖書に書かれた出来事を表している.すべての壁画にはその人物の名前が付記してあるので、本来ならば誰を指しているのか分かりやすいはずなのだが、なにぶんギリシャ語で付記しているので分からない.だから、メガロ・メテオロン修道院では、教会内の方(修道院で働かれている方、修道士ではない)に「ルカと大天使ガブリエルを教えてください」って聞いてしまいました.親切にもこの方はオイラを導いて頭上の壁画を指しながら「あそこでマリアの像を描いているのがルカだよ」って教えてくれるのです.すべての修道院をとおして、やはり教会の壁画を一番よく観察しました.ビザンチン様式の壁画は非常に独特の雰囲気をかもし出しています.残念なのは自分自身の勉強不足で、聖書の有名な場面を現しているのにそれが何だか分からない点ですね.もっと勉強していくべきです.(反省)

おもしろいことに、ずーっと教会内の壁画を観察していると、ツアー客の団体が教会内の見学にやってきます.そこでツアーコンダクターや案内の方々が壁画の説明をするのですが、ヨーロッパ圏からのツアー客は、壁画の天井を見上げていろいろ説明を受けています.そんな中、何組かの日本人ツアー団体にも遭遇したのですが、かれらのコンダクターの説明ははやり表層的な印象を受けました.それは無理もないですね.ヨーロッパ圏のキリスト教に対する知識と日本人のそれを比較してはかわいそうです.ただ、その日本人団体のコンダクターの説明を聞いていて勉強になったのは、教会内の装飾のひとつに孔雀をかたどった物が多いのですが、ギリシャには孔雀がけっこう沢山いるのですね.それは後日、クレタ島クノッソス宮殿に行ったときに沢山の孔雀を見たときに改めて気づきました.

初日に修道院を訪れた印象です.(絵葉書にも書いた内容と重複するのですが)人はなぜこのような厳しい環境に身を置き、過酷な修行をするのでしょうか.そこには高野山で苦行を積む修行僧と共通なものが存在するのかもしれない、そんな事を考えながら一日山々を歩き続けたのです.メテオラは現在6つの修道院が活動を続けているようですが、それでも衰退の方向に進んでいるそうです.一番高い標高に位置するメガロ・メテオロンは標高640メートルに位置するそうです.唯、ここに訪れて受けた印象ですが、メテオラの各修道院には、標高以上の何かがあるようです.あえて誤解を恐れずに言うならば、標高640メートルの山道を登り、崖の麓に来る事はがんばれば比較的可能だと思うのです.しかしながら、最後に崖の麓から修道院に上る、その行為はとてつもない壁を感じるのです.並大抵の覚悟ではできません.現在ように各修道院に観光客が足を踏み入れる事ができるのは、20世紀にはいり、人々が階段や橋をかけてくれたから.つまり19世紀までの修道士はみな、梯子を用いてそそり立つ岩肌を登り修道院に登頂したのです.時には、梯子の途中で意識を失ってしまう人もいたのだとか.そこまでの覚悟と決意、それが最後の壁のような気がします.岩山の頂上に修行の場を求めた彼らはいったい何を思い何を祈ったのでしょうか.文字通り、古の人々は命を賭して修行の場をメテオラに求めたのでした.

とても印象的なルサヌー修道院

初日は、(ほぼ)すべての修道院を訪れた事もあり、体は悲鳴を上げていました.ただ、それに気づくのは翌日の朝なのですが...

つづく