旅行

2008年3月14日 (金曜)
AM4:25 パリ シャルルドゴール空港到着.時間通り、流石エールフランス
ここまではOK, さて今日はどんな一日になることやら.
若干の時差ぼけを感じながら、オイラは苦いコーヒーを求め、シャルルドゴール航空のターミナル内を彷徨う.シャルルドゴール空港は上空からみるとすればひょうたん型の建物、フランス人らしい洒落た建物を楽しみながら、それでも、未明の空港内はブルーワーカーの割合が明らかに多い.日本で耳にする海外ニュースの一つに、フランスの労働者階級のデモや暴動を思い出すと、すれ違うフランス人の形相もこころなしか悲壮に見えてくる.ほとんどの店が閉店の中、一つのショップを見つけて、クロワッサンとコーヒーを注文.空港のショップにしてはそこそこおいしいクロワッサンに、フランスの食のレベルの高さに想像を働かせる.これで街中のビストロにでたらどんなにおいしいのかしら?
時間の有効活用こそが旅の楽しみ、そんな持論でしばらく本をめくり読書に耽る.

やがてAM8:00を過ぎた頃、Departure Gateに移動.自分のフライトは
GATE FLIGHT NUMBER DEAPRTURE TIME
60 AF1532 0935
と再度確認.Boarding Timeは9:05で、時間的余裕もたっぷり.旅は余裕をもった計画が一番.
チケットにはGATE NUMBERが未記入だったので、これでGATE60であることを確認.GATE60の付近に移動し、ややGATE59寄りのソファーに腰掛けて、再び読書タイム.オイラの左腕にはめられた腕時計は依然日本時間のままであったが、フランスローカルタイムに合わせてもまたアテネで調整が必要であることを考えると、自分の頭の中で換算することに.
 しばらく時間が過ぎ、そろそろかなと思いつつGATE60の掲げられた小ディスプレイに目を配ると“Bu…”と表示し始める.あ、そろそろ時間(Boarding Time)だなと思い始めると、人々もGATE前に集まり始める.人々がなる列の後ろにならび、自分の番を待ちながら小ディスプレイを眺めると、なんだか
FLIGHT NUMBER=AF1583
と読める.そして、オイラは少しだけ自分の周辺の時間が止まったような気がした.(今にして思うと、小ディスプレイにはBulgaria(ブルガリア)だったかもしれない.それにOn Boardはフランス語でEmbarquement.)

非常に危険な状態であることを悟ったおいらは、リュックを担ぎながら大型ディスプレイの前に猛然と駆け込む.そこの表示されていたのは、
GATE FLIGHT NUMBER DEAPRTURE TIME STATUS
62 AF1532 0935 GATE CLOSED

と残酷な最後通告.ガーン、最悪だ.
無常な表示を背に、おいらはGATE62に走る.無常に閉ざされたGATEを前に、オイラは周辺で作業をしている空港業務員に話しかける.

オイラ:“My flight is GATE 62.” (とてもあわてた雰囲気を添えて)
空港作業員:”Yes, you should go to AIR FRANCE DESK.” (と、視線を自分の作業デスクから外すことなく、ただ指をエールフランスのデスクに向けて.)

寝不足も吹っ飛ぶ大チョンボに、旅の始まりの不安を感じつつも、エールフランス(AF)のデスクに駆け込む.すると
AFデスクの職員:”I will put you in the next flight!”

おお、この人、いい人だー.オイラは突然救われた気分になる.キーボードを打ちながらオイラに救いの手を向けてくれるこの人の顔が徐々に険しくなるのにそれほど時間はかからなかった.
AFデスクのいい人:”You came here AM 4:25 in this morning from NARITA, Tokyo”
オイラ:”Yes.”
AFデスクのいい人:”Transit passenger CAN NOT stay over 5 hours. So you have to go AIR FRANCE DESK 2.”
オイラ:”Is this gonna problem?”
AFデスクのいい人:”Yes, I think so.”

この人はいい人ではなくなりました.(涙)
再び目の前が真っ暗になったオイラは、涙を人前で見せてはならない、ましてや青めのフランス人の前でなんて、と思いつつ(こころで)泣く泣く持ち物検査のゲートを一人逆方向にくぐる.
AF DESK2は数人からなる列が出来ていて、AFの職員は全員対応に追われていた.そわそわ心細くなりながら列の最後尾に並ぶと、しばらくして、いきなり8人ぐらいの団体客が目の前に割り込み.こんな時、人って大胆になる.8人の団体に向かって、

オイラ:”What happens!”
団体の一人:”It’s OK. We are all same.” (このweは、8人の団体のことらしい.)
オイラ:”But, I don’t understand. What is this!”
団体の一人:”She (=AFの職員をさして) invited us all, so don’t worry.”

しぶしぶ納得するオイラ.このドサクサで、オイラの前に並んでいたひとが列から外れて途方にくれていました.あせっても仕方がないと半ば自分に言い聞かせて、しばらく並んでいるとAFの女性職員が呼んでくれました.オイラはすがる思いでその人の後についてきましたが、ついて行く途中に、先ほど列から外れてしまった男性がオイラの視界の片隅に写ってしまう.0.5秒悩んだ後

オイラ:”Actually, he is before me.” (AFの女性に泣く泣く告げる.)

彼は神妙に”Thank you.”といってくれました.おいらは、誰に言うでもなく“一つ貸しだからな”とひとりごちていました.
 そして、その後、ようやくオイラの番がやって来て今度は別のAFの男性職員に事情を説明する.事情を理解した職員は、何度もこまった顔を見せながら

AFの男性職員:“This flight is always GATE62.”

と主張する.そんな事言ったって今朝の大型ディスプレイでは60だったので

オイラ:”But, in this morning, the display shows that it is GATE 60.”

と退かない.そりゃ退けないし.それに成田で受け取ったチケットにはGATE NUMBERが無記名だったし.何度かこの繰り返しを踏まえた後に

AFの男性職員:”Usually, we don’t do this.”

といって、オイラのチケットを二つに破り、新たに午後のフライトのチケットを刷り出してくれる.

AFの男性職員:”Since you stayed over 5 hours, you must go AIR FRANCE DESK2, …. Never mind!”

オイラ:”Thank you, so much. I appriciate!”

AFの本当にいい人:”This ticket is GATE 57 OK? You have to go around GATE 57 and look around what happens. You know, there is no second chance, right?”

オイラ:”Thank you!”

この男性職員が本当にいいAFの人でした.この人が最後に言ってくれた“GATE57の周辺でしっかり注意しているんだぞ”というアドバイスと笑顔が忘れられません.ところで、上の会話にもあるようにここはAFのDESK2ではなかったようでした.(笑)

人の欲望は限りがないもの.一旦はギリシャの地に立つ事さえ危ぶまれたオイラだったが、午後のフライトに紛れ込む事ができると分かると、今度はギリシャ到着時間が大幅に遅れてしまうこと、その時間を取り返すことを考えるようになってしまう.本来であれば、午後13:55にはアテネ国際空港に着くはずであった.それが、午後のフライトが14:25発.本来の予定では、アテネの初の長距離列車(15:30発)に乗ってその日のうちにカランバカ村(=メテオラの隣町)に着く予定だった.だから、長距離列車の選択はもう無い.次の選択手段は、長距離バス.しかしながら、長距離バスは発着のスケジュールがインターネットでは分からなかった.そこで、シャルルドゴールで待つ間、ずーっとレンタカーでカランバカの地まで自力で今日中に辿り着けないか、そればかりを考えていた.それには、やはり少なくとも、明るいうちにアテネに辿り着きたい.暗くなってしまってからでは、初めての土地で運転をするのは厳しすぎる.ましてや、長距離列車でも4,5時間掛かる距離.だから、3月後半のアテネの日の入り時間を確認しようとするが、流石に空港の情報端末にも限界がある.
そんなことをずーっと考えるが、流石に読書をするまでの心のゆとりはなかった.今度は、GATE 57の周辺で絶えず気を張り、飛行機に乗り込むまで集中する.
今度は、GATE 57の小ディスプレイにシッカリATHENE(アテネ)と表示されているのを確認、空港内バスで飛行機まで移動し搭乗することができました.しかしながら、今度はフライトそのものが1時間程度のディレイ.搭乗後もアテネの日の入りだけが心配なおいらは、添乗員さんにアテネの日の入り時刻を聞く始末.当然、彼女はそんなこと知らない(笑).

飛行機から眺めるアテネ、そこは地中海が美しく映えるペロポンネソス半島に夕日が美しく差し込んでいました.飛行機から見るとね.でも、Baggage Claim一格闘し、ようやくアテネ空港から外に出ると、既に19:00(PM7:00)で外は暗くなり始めていた.レンタカーのオプションも無くなり、半ば諦めながら空港内のレンタカーデスク周辺を歩いて地図を捜していると、ギリシャ観光局のデスクを発見.
オイラ:”Question. I wanna go to Kalambaka by the END OF TODAY.”
局の人:”(こまったはね〜的な顔で)Mumm….”
と言いながら、21:00発のトリカラ行きの長距離バスがあることを教えてくれる.トリカラはカランバカ村までバスで30分の距離に位置する村.そこまで4時間半かかるので、到着は深夜2:00ごろ.それでもいいならと地図を渡してくれる.但し、長距離バスの発着ターミナルに行く手段が少ない.空港からバスが出ているが、下車の停留所が分かり図らい(これは“歩き方”にも載っていた.)更に、空港から出ているバスの本数が少ない.停留所を間違えたら21:00にも間に合わないかもしれない.とりあえず、空港発のバスに乗り込み“長距離バスターミナルに行きたい”とドライバーに尋ねると

ドライバー:“No problem. I will tell you when we arrive there.”

と.なんていい人なんだ.“歩き方”には英語の話せない(話さない?)運転手もいるらしいけど、とても幸運だと思いつつバスはスタート.ギリシャの交通事情はかなり運転が荒いと聞いていたが、たしかにアテネ市内のバスの運転も荒かった.それでも、アテネの市街地まで1時間程度はかかっただろうか.しかしながら、運転手はいつまでたっても教えてくれない.“いったいどこまで行くのだろう?”と不安になり、運転手さんに再び

オイラ:“Next?” (次で降りるの?)

と聞くと、運転手さんは満面の笑みで

運転手:”I forget you.”

ガーン.(今日二回目)もう既に降りるべき駅は通り過ぎてしまったようです.やがてバスは終点に到着.20:10 (PM8:10)ぐらい.終点に着くと運転手さんは

運転手:”No problem. You can go Bus Terminal with same bus. OK? Don’t buy ticket.”

いやいや、運転手さん.とても心配です.しかも、この運転手さんはここまでで、復路は違う運転手さん.もう滅茶苦茶.しかも、折り返しのバスは20:35発.ここまでの経緯はチケット売り場のオジサンに説明してくれているみたいだけれど.あなたは何処へ行ってしまうのですか.
ああ、もう終わった.心細くも折り返しのバスを待つことに.待つ間、やはりタクシーに乗り換えるべきかどうか悩む.するとやがて折り返しバスがやってくるが...
なんと、折り返しのバスの運転手さんは英語できない!(流石“歩き方”.なんて関心している場合ではない.)オイラが、英語で話そうとすると、逆切れして“No ENGLISH!”って超怖い.あーもうどうするの.と悩みつつ、チケット売り場のオジサンを呼んで来て、事情を説明してもらうことに.するとここまでの経緯が理解してもらえたのか、突然態度が好転してギリシャ語でフレンドリーに話しかけてくる.”なーんだ、そうだったの?“というような感じで.
しかしながら既に20:35.復路の道路は目茶混み.分刻みのスリリングな運転で、長距離バスターミナルについたのは20:50.いやー焦るのなんのって.結局、トリカラ息の最終バスに間に合い、4時間半の真夜中のドライブ.ここまで気を張っていたせいか、バスの中ではほぼ睡眠.トリカラへは深夜1:30ごろ到着.

トリカラは田舎町.よるの1:30に開いている店は皆無.バス停留所の周辺には最終の客のためのタクシーが何台か止まっている.しかし、いきなりタクシーに話しかけてぼったくられるのは嫌だと思い、そ知らぬ顔して周辺のHOTELを探すフリ.トリカラからカランバカまで30分程度と考えるとタクシーでも相当かかるかと頭で考えながら、この周辺のHOTELの相場をチェックすることに.しかしながら、どのHOTELも玄関すら開いていない.(涙)しかたないので、タクシー乗り場までもどり、とりあえずカランバカまでの運賃の相場を聞いてみる事に.しかーし、なんと運転手さん英語できない.ヤラレタ.英語できなくてぼったくられたら最悪と思い、英語ができる運転手がくるまで何台もやり過ごすことに.しばらくして、片言の英語はなせる運転手と遭遇.カランバカまで幾らか聞くと15ユーロと.2250円程度であれば、すでに日本からカランバカに予約入れているHOTELが7000円程度なので、そのコストを考えるとまあお徳かなと.結局、タクシーに15ユーロで交渉し、一路カランバカへ.HOTEL到着は深夜2:30ごろ.ドタバタの一日だったが、なんとかメテオラの近くに来る事ができた満足感で今日はベッドに潜り込む.

つづく