イラク戦争・日本の運命・小泉の運命

イラク戦争・日本の運命・小泉の運命

日本の一定期間の将来を予想する為には、その期間の何倍もの時間間隔の過去を遡り考察する必要があるという.確かにその通りだと思う.面白いのは、それだけの考察を踏まえた上で、著者が日本の政治の流れを予想しているのだが、それがことごとく軌道修正を強いられている点である.著者も言うように、政治は一瞬先が闇である.現在の日本の政治のパワーバランスが、政治家、官僚、企業の三者間での利権関係により構成されている現状が、1940年代の戦前に形成されたものだそうである.今の経団連も、40年代に形成された各業種別の企業団体の総まとめ役として、官僚側からその創設を促されたそうである.日本の高度経済成長の裏には、この40年体制による恩恵が少なからずある、その40年体制は、社会民主主義的な形態であるという著者の主張には賛成する.ただし、現在の不景気を克服する手段が、この社会民主主義的な手術であるかどうかは、良く分からない.しかしながら、なんでもかんでも市場のオープン化が叫ばれているが、それはアメリカ型資本主義を、アメリカから押し付けられているだけだということには注意を払う必要があると思う.アメリカのスタイルが世界の標準なのでは、けっしてないはずである.本書のもう一つの主題は、イラク戦争とそこから考えさせられる憲法九条の問題である.イラク戦争が、アメリカの石油利権を求めた国際法違反の侵略戦争であることは、本書を読むとよく理解できるのである.それとは別に、イラクへの自衛隊派遣に代表される憲法九条の改正問題については、十分な検討が必要であろう.戦争を憲法で放棄した日本国憲法第九条は、世界に誇れる日本の財産だと思うが、北朝鮮に代表されるように隣国の武力に対する危機管理として軍隊を保有することは、必要と思う.他人からの暴力をガードする為の自身の体力は必要と考える訳である.「憲法九条」と「北朝鮮などの武力の危機」の並存は、日米安保というカードがあるから共存するパラドクスのようなものである.日米安保による武力を手にいれて、それで憲法九条による武力の放棄では、日本のシステムの中に自己矛盾を包含していると言わざるを得ない.