小石川の家

小石川の家

後楽園の駅を降りて帰宅する家路の途中、いつものように本屋に立寄り何気なしに本を眺める。本棚の前にせり出した部分には、いつものように新刊や文庫本化された旬の本が積まれている。そんな中の一角に、文京区を題材とした本が特集されているような一角があった。その中から何気無しに手にしたのが「小石川の家

母は保護者会のあと担任の先生に、
「すこしは稽古をさせて、ましな字を書いたと思いますけどいかがでしょう]
と聞いたらしい.出来の悪い娘を苦にしていた母にしては、どうしてそんな気の強いことを言ったのか、今もって分からないが、年の若い師範学校出立てで優秀だと噂の先生は、
「実はこちらからそれについてお聞きしたかったのですが、教室で書いたものですから、代筆や加筆は考えられない.でもあまり何時もの字と違うので、何か特別の教育でもされたのかと、どなたか立派なお習字の先生の所へお習いに行かれたのですか」
「いいえ、私が見たんですけれど」
「お母さんが?」
「先生がいつもより良くなったと見ていらっしゃるのなら、私の気のせいじゃなかった.ひっぱたいただけのことはありました」
「え? ひっぱたいた」


母親の強気な一面が表れている。そして娘に対する自信の表れも。文豪の娘で自身も作家である幸田文が世間一般に与えている印象と、実際の母親としての性格の間には思った以上に乖離があったのだろう。そして、実際には、とても気丈で、とても思いやりのある素敵な母親だったに違いない。

偉大な文豪たちの実家庭における実に人間味ある理不尽な振る舞い、そしてそんな中で育まれた人間愛、それらを一身に浴びて育てられた作者の自伝的作品である。

これでもかと言うほど理不尽な祖父、でもそんな会話の一つ一つが作者の遠い記憶の中にしっかり残っている。母の躾の方法もけっして親切とは言えず、書道の稽古中、後ろから蹴飛ばされたり、伊豆から送られて来た新鮮な魚介類や野菜のお裾分けのお使いの挨拶を教える場面など、読んでいて吹き出してしまうほど面白い。でも、そんな厳しさの中から、しっかりした人格形成が育まれるのではないだろうか、そんなことを想像させる作品だった。なによりも、昔の古き良き日本の家庭、そのようなものを教えてくれる作品である。